a

「絵画・造形教育論」

                      園長 上田 斉 1.かけがえのない幼児期の絵画・造形活動   ミロ(Joan Miro 1893-1983)がまだ若い頃に個展を開いた時  1人の来客があきれたように「これはまるで子どもの絵だ」と  言いました。この客は全く否定的な意味で、このようなたとえ  をしてミロの作品をけなしたわけですが、この話をあとで聞い  たミロは「それこそ、私の作品に対する最高の賛辞である」と  誇らしげに言ったそうです。   実際、子どもの絵画・造形作品には不思議な魅力があります。  空が青く、顔手足が肌色であるとは限りません。子どもの色使  いの自由さは、まるで生命感溢れるアフリカ美術を彷彿とさせ  ます。子どもが紙粘土でものを作る時、大人では思いもよらな  い大胆な造形を見せてくれます。子どもの作品が持つこの魅力  の秘密は、いわば「幼児的天真爛漫さ」にあるのではないでし  ょうか。   ところが、すべての子が生まれながらに持つと思われるこの  「幼児的天真爛漫さ」を、どの子もすぐに作品に表現すること  ができるかと言うと、そうはいきません。むしろ、これまでの  成長の過程で、表現の自由さを失い萎縮してしまっていること  の方が多いように思います。さらに何らかの原因で心の健康が  損なわれているとき、絵にもそれが顕著に現れます。あるいは  色使いに、あるいは題名に。   このように、幼児期における絵画・造形教育は、単なる技術  や能力の獲得のための教育ではなく、十分に心の教育のひとつ  と言えるのではないでしょうか。心が健康で、そのうえ、指導  よろしきを得て、より高い表現の自由を得た子どもの作品は、  おおらかで、ユーモラスで、見ていて思わずほほえんでしまい  ます。題名を聞いてまたニッコリ。楽しかったこと、おもしろ  かったこと、ハラハラしたこと、子どもたちの生活や、心の世  界そのものです。そして、成長とともに、やがては失われゆく  「幼児的天真爛漫さ」が素直に表現された作品は、期せずして  芸術的ですらあると思います。   「全ての子どもはアーティストである」パブロ・ピカソ
目次へもどる   次ページへ 
a.女の子がお家から出てきて自転車でお買い物に行くところ (絵の具、コンテ、サインペン) b.お父さんがお椅子に座って、テレビに映っているところ (絵の具、コンテ、墨汁) c.紙粘土による塑像制作 (紙粘土、ボタンやビー玉、どんぐり、ビーズやストローなど、絵の具)

b
c